開業を決意したものの、開業の知識がないため、何をしていいのか、さっぱりわかりません。
そこで、病院に出入りしている業者や知り合いの開業した先生に、かたっぱしから連絡し、相談しました。しかし、具体的な進展が見られないまま1か月が過ぎてしまいました。
今振り返れば、この時期に、開業のキーマンとなるほとんどの人と出会っており、もっとも大事な時期となりました。
しかし当時の私は、
『このままでは開業できないのでは』
と焦るようになりました。
そんな中、これからの開業活動を大きく揺るがすことになる“あの人”に出会うことになります。
続く
「院長に、おれはなる」(ルフィ風)
2016年3月、39歳を迎えた私は、ついに決意しました。
そして様々な都合から、1年3か月後の
“2017年6月”
の開業を目指すことにしました。
結論から先に言ってしまうと、『2017年6月1日』と、まさに予定通りに開業することになりました。
これから開業までに様々な困難にぶつかるわけですが、この日程を決めておいたおかげで、その後数々のピンチを切り抜けることになるとは、当時の私は知る由もありませんでした。
続く
この物語は、開業という戦いに挑んだ一人の医師の記録である。
開業においてまったく知識もコネもない弱小医師が
絶望の中から這い上がり
わずか1年ちょっとで開業をなし遂げた奇跡を通じて、
その原動力となった「信頼と愛」を余すところなく日記化したものである。
スクールウォーズ風に始めてみました。
このシリーズでは、私が開業活動を通じて体験したことを書いていきます。
みなさんが楽しんで読んでいただき、また、だれかの何かのお役に立てば幸いです。
それでは、乞うご期待。
最後まで読んでいただいた皆さん、ありがとうございました。
書き始めた頃は、ゴールが見えない中で手探り状態でした。正直、途中で飽きたらやめようと思っていましたが、開業まで辿り着けたのは、読んでくださった皆さんのおかげです。感謝します。
開業の神様がいるならば、経営者としての知識も経験もゼロだった私を正しく開業させるため、試練を与えてくださったと考えています。しかし、開業の神様は、若干スパルタがすぎます。一応体育会系だった私はなんとか許容できましたが、このご時世、行き過ぎた指導は時代にそぐわなくなってきました。
そこで、これから開業する方に対し、開業の神様の手を煩わせないよう、この開業日記が役に立ってくれたら幸いです。
最後に、これから開業する方へ伝えたい言葉を一言。
「なんとかなる」
それでは、さようなら。
2017年6月1日
ついに開業日を迎えました。
たくさんの方に受診していただきました。待ち時間が長くなってしまい、想定外の問題もありましたが、スタッフが適正に対応してくれたおかげで、大きなトラブルもなく、無事に初日を終えることができました。
帰り道、いままでの開業活動を振り返りました。
開業を決意してから1年3か月。
たいへんだったこと、いやだったこと、つらかったこと、困ったこと、ほんとに色々なことがありました。しかし、すべての出来事は、今日ここにたどり着くために必要なことだったんだ、と気が付きました。
そして、あまりいい思い出が残っていない人たちも含め、すべての出会いに心から感謝する気持ちが沸き上がってきました。
しかし、開業はゴールではなく、スタートラインに立ったにすぎません。
「世界一素敵な眼科に、よしだ眼科をする」
という新たな目標に向け、よしだ眼科は出航するのでした。
完
2017年5月27日 晴れ
この日、内覧会を行いました。
ちょうど運動会シーズンで、小学生・中学生の子供を持つ家族が来れない日程だったので心配ましたが、100人以上の方にお越しいただきました。(予想通り子供は一人も来ませんでしたが・・・。)これは、私の周りで同時期に開業したクリニックの中でも、一番多い数でした。
そこで、いろいろな方とお話しましたが、多くの方が、手術できるクリニックが開院することを喜んでいただいているようでした。
自分の開業活動が間違っていなかった、という手応えを初めて感じることができました。
こうして、内覧会を無事終えることができました。
開業日までの残り2日間は、内覧会の片づけと掃除、そして模擬患者での外来の練習などの最終チェックをして過ごしました。また、このタイミングで融資がついに実行され、金銭面での最悪の事態は回避されました。
そしてついに、開業日を迎えます。
次回、涙の最終回です。
その日、たまたま土曜日で研修はお休みでした。
そこで、耳鼻科へ受診しました。
『メニエール病』
これが診断結果でした。メニエール病は主にめまいのイメージですが、私の場合は、運がいいのか悪いのか、難聴のみでめまいはありませんでした。そして、お薬を処方してもらいました。
すると翌日・・・
『聞こえる!!』
なんと奇跡的に回復していました。
今思えば、すぐに受診したのがよかったのかもしれません。そのため、もしその日が土曜でなく、ほかの曜日だったら、研修を休めず、受診が遅くなり、回復にもっと時間がかかっていたかもしれません。
もはや、ラッキーなのか、不運なのか、よくわかりません。
いや、すべて大ラッキーでしょう!
こうして、ついに内覧会当日を迎えます。
続く
開業10日前
多忙を極めていた上に、銀行との最終契約がなかなか決まらないなど、ストレスとプレッシャーが極限地点にありました。
そんなある日、急に右耳から、波のような耳鳴りが聞こえました。すぐに治るかと思いましたが、一向に治る気配がありません。しかし、やるべき仕事が山のようにあったため、それを気にする余裕もありませんでした。
帰り道、やっぱり耳がなんだか変です。耳くそでもたまっているのか、と小指を耳に突っ込んだとき、ある異常に気が付きました。
「右耳、聞こえない」
耳に指を入れたときに聞こえるはずの音がまったく聞こえません。右耳だけにすると、特に低音がまったく聞こえなくなっていました。
さすがに焦りましたが、一晩寝れば治っているだろうと無理やり考えることにしました。しかし、翌日になっても、まったく改善していませんでした。
その日から1週間後に内覧会が予定されていました。内覧会は周辺住民への初披露する会で、新規開業にとって、もっとも重要なイベントです。この日を告知するために、何万もの世帯にパンフレットを配り、駅や郵便局のポスターを出していました。そのため、内覧会の日程を変更することは不可能です。さらに、内覧会直前には銀行との契約日も控えていました。これができないと、開業自体が破綻する恐れさえありました。
開業活動では、これまでさまざまな試練や困難を体験してきましたが、ここにきて、最低・最悪で最大のピンチです。開業の神は、あくまでも私に開業させたくないようです。
続く
少し時間がさかのぼります。
2016年10月、それまで下がり続けた金利が上昇に転じます。その原因は・・・
トランプ大統領就任。
TVでは以降見ない日がないくらい、今日までよく出てきますが、まさか自分にその影響が出るとは想像していませんでした。
金利上昇の影響からか、それ以前より融資を受けにくくなり、かつ上限金額が下がりました。
それまでは、開業はG銀行で全額OK、という流れでしたが、いざ銀行へ相談すると、上限金額までしか融資できないとのことでした。そのため、さらに他の銀行から融資を受けないと資金が足りない、という状況になりました。
慌てて、他の銀行に当たることになりました。
まずは、大手M銀行。しかし、金利が高いうえ、いざ話を進めていくと、M銀行からではなく、なんとかファイナンスと言う保証会社?から融資を受ける、という契約内容でした。なんとかファイナンスと言えば、闇金ウシジマくんみたいな人が出てきそうで怖いので、却下しました。
次に、地方M銀行。決して好条件ではなかったのですが、背に腹は代えられないということで、ここに決めました。
4月、A社とC社から融資の金額の配分も決まり、あとは団体信用生命保険に加入すればOK、というところで、さらに問題が勃発します。
話を進める前に、団体信用生命保険(略して団信、かっこいいのでこれからは団信と呼びます。)についての説明から。団信とは、融資を受ける際、担保なしの代わりに入る保険です。家を購入された方は、利用している方も多いかと思います。
団信は、銀行1社に対し、それぞれ入ります。そして、1社あたりの団信がカバーできる上限金額が決まっています。今回は、2社のそれぞれの金額は上限を下回っていました。そのため、ここは特に気にも留めていませんでした。
4月のGW直前、A社から突然の連絡がありました。
誰かから電話が来るときは、良いことはありません。久しぶりにイヤな予感がしました。
「A社とC社の団信が同じ会社のため、合計金額が上限を超えるから、団信でカバーできない金額がでます。どうしますか?」
という内容でした。団信が同じ会社というまさかの事態。どうしますと言われましても・・・とフリーズしていると、A社と提携しているA保険会社でオーバーした分の金額につき保険をかければOKとのことでした。開業まで時間もないので、言われるがままに契約するしかありません。
しかし、タイミング悪く、GWを挟むため、保険会社との契約は5月のGW明けとなりました。
そして、保険会社との契約をした後、やっと銀行と融資の契約を締結することができました。ちなみに、銀行との契約日は、なんと内覧会の3日前・・・。
口約束があったとは言え、世の中なにが起きるかわかりません。不測の事態で契約が破棄なったらおしまいだ、と内覧会の直前まで眠れぬ夜を過ごしていました。
内覧会を目前に、多忙とストレスのなか、ついに私の体に異常が生じます・・・。
続く
5/11 スタッフ研修初日
先輩開業医に、研修初日に来ない人がいた、という恐ろしい話を聞いていました。
実際、面接をしてそれっきりなので、本当にスタッフは来てくれるのか、もし誰も来なかったらどうしよう、と朝から心配でした。
しかし、ありがたいことに、皆さん来てくれました。
スタッフが集まり、みなさんの前で最初にあいさつしたとき、
「これから院長になるんだ」
という実感が湧きました。
スタッフ研修は20日間で、電子カルテの使用法を中心とした内容となっていました。
最初は、スタッフと一緒に研修を受けようと思っていましたが、他にやることが多すぎて、すぐに断念しました。
ここで、開業1か月前の院長の仕事につき、記載していきます。
「電子カルテ」
研修内容同様、電子カルテに充てる時間が一番多くなります。特に、私も電子カルテが初めてだったので、使用方法を覚える必要がありました。
また、電子カルテは使いやすいようにカスタマイズが可能です。最初はゼロの状態から大まかな全体像を作成し、その後細かな部分の修正となります。何事も同じですが、0から1を生み出す作業はものすごいエネルギーが必要です。
その中で、会計と紐づけする項目選びは、取りこぼし防止と時間短縮になるため、非常に重要となります。
「書類の作成」
クリニックを始めるにあたり、同意書や手術説明用紙、オーダー用紙などの書類の作成が必要です。
同意書や手術説明用紙は、他のクリニックで使用しているものをもらっていたので、最初は、クリニック名だけ変えればよいか、と思っていました。しかし、他人のものは、やっぱりしっくりこないため、ちょっとずつ変えているうちに、結局すべてを変更することになりました。
また、オーダー用紙は、外来の流れと電カルでできることを考慮する必要があり、脳内外来シュミレーションを何度も行う必要があります。実際に外来をやっていればなんてことはないのですが、まったくなにもない状態で物事を考えることは、非常に大変です。
「備品の追加購入」
実際に多くの人数が集まると、一人のときには思いつかなかった足らないものが次々と出てきます。マツキヨとダイソーへ通う日々が続きます。
「営業への対応」
どこで調べてくるのか、様々な営業が来ます。現在はスタッフに対応してもらえますが、当時はすべて自分で対応しなければいけません。
多いのが、広告系で、駅や広場の看板、インターネット、地域雑誌や医療雑誌、回覧板、役所の掲示板、地図、うちわなどなど。こんなに広告の種類があり、それで飯食っている人がこんなにいるんだ、と感心しました。
しかし、全員に広告の対費用効果につき質問しましたが、誰一人まともに答えることができません。広告を売る以上、どれくらい利益をもたらすか、もしくは、どのように計算すればおおよその判定ができるのか、くらいは考えておくべきだと感じました。
営業人は、商品を売ることで相手にいくら利益が出るかではなく、自分にいくら利益が出るか、という内向きにしか思考回路がないようです。
結局、いちいち考えるのが面倒になり、営業は内容問わず、すべて断ることにしました。
そのほか、想定外の小さなトラブル(虫が大量発生するなど)の対応など、いくらやってもやることが次々と増えていく感覚でした。開業1か月前は、研修医時代を超え、人生で最も忙しい期間となりました。
そして、開業前に最大のピンチが訪れます。
続く