5/1月曜、ついに内装工事が終わり、鍵をもらいました。これで、一国一城の主となりました。
さあ、これから、と思いきや、5/3からGWに突入します。退職してからプータロー状態の私は毎日がGWなので関係ない話ですが、業者はみな連休に入ってしまい、業務がストップしてしまいます。
5/8月曜
GWが明けました。ここから、人生で一番忙しい1か月となります。
その時点では、クリニックには何もない状態です。
11日にスタッフ研修が始まるため、この三日間で必要物資をすべて揃える必要があります。
大物系として、医療機器から待合室用ソファやロッカーなどの家具があります。これらは事前に注文しているのですが、量が多く1日では搬入できません。そのため、毎日搬入作業です。
また、トイレットペーパーなどの生活用品も必要です。毎日、駅前のマツキヨとダイソーへ買い出しです。
さらに、電話、プリンター、レジ、テレビなどの電化製品の購入も急務です。これらは、無限に種類があり、こだわり始めるとキリがありません。そこで、Amazonで、適当に次々と選んで行きました。人生においてAmazonで一番お金を使った1か月だったと思います。ありがたいことに、Amazonは翌日配送してくれるため、あっという間に揃いました。Amazonがなかった時代、どうやって開業していたのか、私には想像できません。
こうして、3日間でなんとか最低限の装備は整いました。
いよいよスタッフ研修開始です。
続く
2017年4月
近隣クリニックへのあいさつ回り、医師会入会審査、防火講習2日間、内装工事の見学、保険会社・医療廃棄物業者・眼鏡屋・銀行・薬卸・社労士・郵便局との打ち合わせと、相変わらず忙しい日々でした。また、谷塚周辺へ出向く用事が増えたため、移動時間が長くなり、より一層忙しくなっていきました。
近隣のクリニックへのあいさつ回りですが、当然先方の先生にとっては、ウェルカムな状況ではありません。そのため、他の先生の話を聞くと、1回はどこかともめて嫌な想いをするイベントとのことでした。そのため、最初に電話を掛けるときや、訪問に行くときは、いつもかなりストレスのたまるイベントでした。幸い皆さん暖かく迎えていただきました。
いまさらながら、ありがとうございました。
そんななか、スタッフ面接を終え、スタッフが無事決まりました。
そして、ついに運命の5月を迎えます。このとき、私の体にあんなことが起こるなんて、予想もしていませんでした・・・
開業まで1か月
続く
開業3か月前地獄
3/1 内装業者と打ち合わせ
3/2 とらばーゆ締切・医療機器ショールーム見学会
3/3 保険会社と打ち合わせ・広告代理店と打ち合わせ
3/4 前病院の仕事納め
3/7 内装業者、機械業者、警備会社、広告代理店、電話会社が一同に集まって打ち合わせ
3/8 郵便局広告締切
3/9 タウンワーク締切・お茶の水井上眼科見学
3/13 M社と打ち合わせ・西葛西井上眼科見学
3/14 検査会社と打ち合わせ
3/15 医療機器選定締切・そして内装工事開始
3月前半の予定の一部を書き出してみました。
この時期の打ち合わせは、何かと最終決定を下すことが多く、毎日何かを選んだり、文章を書いたりと、ほんとに忙しい日々でした。新しいものを作り上げるという最もクリエイティブな時期でもあり、人生でもっとも脳を酷使した時期でもありました。
そして、怒涛の3月が過ぎていきました。
開業まであと2か月・・・。
続く
「ロゴマークと診療理念」
ロゴマークを作成するにあたり、適当にカッコイイものを作ってもらうのではなく、何か物語を語るデザインにしたい、と考えました。そこで、ロゴマークは「診療理念」を形にしたものにしよう、とひらめきました。とは言え、当時はまだ、診療理念なんて考えてもいませんでした。
というわけで、まずは診療理念を作成することにしました。
『なぜ開業をするのか?』
を改めて考えてみることにしました。そして、
「みんなを幸せにする」
という言葉が思い浮かんでいました。しかし、そのまま使うと、ディズニーランドの「ハピネス」とかぶってしまいます。それでは、ミッキーに申し訳ありません。
また、アミューズメントパークではなく、眼科を作るので、題名を
「眼科医療でみなさまを幸せにする」
としました。「眼科医療で」と入れたことで、眼科医療以外の経済活動はしない、という決意表明でもありました。
本文は、ジョンソンアンドジョンソンのような作文風に書こうとしましたが、残念ながら文才がないためうまくいきませんでした。そこで、他院の診療理念のいいところをかき集めてから、自分の言葉に書き換える、という作業をしました。さらに、それを製薬会社のY氏に添削をしてもらい、修正する、という作業を何度も繰り返していきました。おそらく、10回以上はやり取りしたのではないでしょうか。そして、最終的には、他院のかき集めた文章が跡形も残らないくらいに修正され、ついに完成しました。
診療理念を作る作業は、確かに大変でしたが、自分の開業への想いを確認する素晴らしい時間となりました。そして、今後の開業活動だけでなく、開業してからも、この診療理念に何度も助けられることになりました。
思いのほか、診療理念の作成に時間がかかったので、急いでロゴマーク作成に取り組みました。今回は広告代理店のデザイナーにお願いすることになりました。
そこで、診療理念を読んでいただき、デザインを考えてもらうことにしました。
ロゴマークのうち、まぶたを表現している草の部分は、1発目に出てきました。見た瞬間に、「これだ!」
とわかりました。
一方、目の部分は、5回くらい書いていただきましたが、いいのが上がってきません。そこで、自分で考えることにしました。
診療理念を何度も読み返していると、「4」という数字が浮かび上がってきました。さらに、娘が書いた女の子の絵を見たときに、ピンときました。
そして、大きな丸のなかに4つの小さな丸を入れる、というデザインを思いつきました。
(詳細はよしだ眼科HPのロゴマークを参照)
全体のデザインが完成したときは、
「きたー!!」
と織田裕二ばりに叫んでいました。
ついに、ロゴマークの完成です。
続く
次は、スタッフ募集文章の作成です。
時間軸的には、内装の図面と同時進行で行っているのですが、一緒に書くと混乱するため、分けて書くことにしました。
スタッフ募集は、とらばーゆとデューダで行うことにしました。
とらばーゆではネットにも掲載され、そこには写真を4枚追加して載せられるとのことでした。既存のクリニックであれば、院内の様子などの写真がいくらでも撮れるため、ネタに困ることはないでしょう。しかし、開業前は、クリニックはまだ工事すら行われていないため、写真にできるものなんてありません。そこでよく使われる技法は、クリニックとは関係のないモデルの人たちの写真を使う方法です。みなさん、どこかで一度は見たことがあるのではないでしょうか?
しかし、それを使うことはダサい、と思った私は、使えるものはないか、探しました。
まずは、院長写真。しかも、右からの院長と左からの院長という、角度の違う院長写真が2枚あったので、スペースを埋めるために両方使うことにしました。実際にうちの募集を見た人たちは、
「なんてナルシストな院長なんだ」
と感じたと思います。
あとは、建物の外見と受付のイメージ像の2枚で埋めることにしました。イメージ像は、内装業者がサービスで作ってくれます。
受付イメージを作成するにあたり、クリニックのロゴマークがあるとかっこいいな、と思い付いてしまいました。
そこで、急遽クリニックのロゴマークを決めることにしました。しかし、内装図面の作成で忙しい時期に、ロゴマーク作りが、あんな大きなプロジェクトになるとは、このとき私は思ってもいませんでした。
続く
今回は、あまりドラマチックな展開のない、内装業者が決定してから図面が完成するまでのお話です。
期間としては、1か月ちょっとあります。それだけあれば楽勝でしょう、と思うかもしれませんが、業者と直接会って打ち合わせできるのは、週1回。そうすると、たったの5回程度しか打ち合わせができません。そのため、1回のミーティングで、壁紙や床の素材、ドアの色や棚の配置・・・決定事項がほんとにたくさんあります。
そんな忙しい合間に、お茶の水にある井上眼科へ見学に行き、ユニバーサルデザインを学んできました。そして、それを取り入れるために、デザインの余計な変更なども多々発生しました。
ミーティングが終わった後は、脳がとても疲弊します。そして、ついつい夜中甘いものを食べてしまいます。
そんな中、L社はメールへの対応が早かったため、事前に確認や微調整の相談などを打ち合わせの間にメールで決めておくことができたのは、とても助かりました。
2017年3月
L社の奮闘のおかげで、ギリギリで、というはまさに締め切り日ちょうどに図面を完成し、日程通りに内装工事を始めることができました。
続く
2番目、人柄のN社。
次も白紙だったらどうしよう、と心配していましたが、こちらの要望をすべてかなえた図面を書いてきてくれました。それを見て、少し安心しました。
しかし、この物件の広さでは、私の要望をすべて叶えるのは難しいと見え、動線などかなり無理が生じているのがわかりました。
この物件は失敗だったのか・・・という思いが、頭の中をよぎり始めました。
3番目 初めましてのL社
絶望的な気持ちでいっぱいのまま、L社を迎えました。
半分諦めの気持ちでL社の図面を見てみると・・・まさに理想通り、の一言でした。
ポイントは、他の2社が苦戦していた配管について、大胆な発想力で問題解決したことと、こちらが困らない程度に要望を削り、全体のバランスを取ったところでした。これは、L社の経験値と能力のすごさでしょう。
また、その後修正点につきメールでやり取りしたところ、レスポンスが早かったのもよかったです。
というわけで、内装業者はL社に即決しました。
続く
開業日が決まると、すべての日程が自動的に決まっていきます。
特に大きな締め切りとして、「内装の図面の完成」と「スタッフ募集の原稿」の2つが挙げられます。これらは、開業日3か月弱前の3月上旬に設定されました。
今回は内装のお話。
内装図面完成の締め切りから逆算すると、なんと物件契約日から2週間以内に内装業者を決める必要があることが判明しました。そのため、すぐに内装業者を集めてコンペをする必要がありました。しかし、その時点まで、内装業者のことは何も考えていませんでした。
そこで、急遽前回の物件で紹介された内装業者T社N社と、新たに紹介されたL社の3社にお願いして、翌週コンペをすることになりました。
内訳は、眼科の王道のT社。人柄のN社。そして未知数のL社。
コンペをするにあたり、こちらの希望を内装業者に伝えなければいけません。例えば、オペ室はどれくらいの広さにするか、待合室は何人くらい座れるようにするか、診察室は1診か2診か。それらを決定するには、本来は開業後のプランをじっくり考えておく必要があったのですが、物件探しに必死だった私は、まったくのノープラン。
そのため、徹夜で要望書を作成し、内装業者に提出、学生時代以来の一夜漬けです。
その要望書を踏まえて、図面をコンペに書いて持ってきてもらう流れにしました。
コンペ当日。
1番目、本命T社。
正直、一発目で決まってしまうかなと期待していましたが・・・
なんと白紙の図面を出され
「この物件の広さでは、ご希望に沿った図面は引けませんでした。」
それを聞いて、頭が真っ白。
まさかの物件に対するダメ出し。この物件では、開業できないのではないか、という恐怖で全身の鳥肌が立ちました。
続く
様々なトラブルを通じて、業者との対応につき、あるシステムを作りました。それは、
「情報共有化および業者相互監視システム」
私の開業に関わる連絡は、私、I社、M社にCCで皆に報告してもらい、常に情報を共有するようにしました。
また、業者との面会も、I社かM社に必ず同席してもらいました。
開業活動は、いろいろなことが同時進行で複雑に絡み合いながら、ものすごいスピードで進行していきます。1週間前とは、話が全然変わっていることも少なくありません。そのため、お互いにタイムリーに情報を共有しておく必要があります。
また、常に複数の業者と情報を共有することで、ある業者が単独で私にとって不利益な行動をしていないか、お互いに監視する効果が期待されました。
チームヤツカは強靭なシステムを武器に、地獄の開業活動編へ、いざ出航です。
続く
事件は、S社の一言から始まります。
「開業をお手伝いする代わりに、機械はS社から購入してください」
しかし、機械関係はすでにR社にお願いしていました。そのことを伝えると
「大丈夫です。R社から購入する際、S社を名前だけ通してくれれば結構です。マージンも取りませんので、先生に損はありません。」
その話だけ聞くとマイナスはなさそうなので、その話を一旦は受けました。しかし後日、激昂したR社より電話がありました。
「先生、S社から機械を購入するおつもりですか?S社を通すと、マージンを取られて高くなるだけでなく、メンテナンス責任もS社が持つことになり、R社はなにもできなくなります。先生にとって、S社を通すことに何のメリットもありません。」
R社は以前より付き合いがあるため、間違ったことを言っているとは考えにくいです。一方、S社も前回の活躍もあり、信頼している業者でした。
2社の対立に板挟みになり、わけがわからなくなる私。そんな中、I社に相談したものの、いまいち要領の得ない解答で、解決策が見いだせません。
しかし、前回の失敗から、製薬会社M社を相談役として置いていました。
早速、M社に現状を報告しました。すると、業界の構造などを詳しく教えてくれたうえで、今回はR社が正しいということでした。そのため、S社は外すことになりました。
こうして、チームヤツカは発足わずか1週間で崩壊となりました。しかし、捨てる神あれば拾う神あり。M社がS社の穴を埋めが可能ということだったので、M社にご協力いただくことになりました。また、M社はコンサルタント業務も可能でした。
というわけで、個人開業ではめずらしい、コンサルタントI社M社の二刀流で開業活動を行うことになりました。結果、これがうまく作用することになります。
(I社は最初とても嫌がっていましたが・・・。)
ついに、新星チームヤツカが結成しました。
続く